大竹駅伝競走大会の歴史

大竹駅伝(玖波中継点)

大竹駅伝は、昭和27年1月3日に広島駅前を出発点として開催された「小方駅伝大会」が、4回目の開催となる昭和30年1月9日に「廣島大竹間駅伝競走大会」に改称されたのが始まりです。第8回大会からは「広島大竹間駅伝競走大会」に表記が変わり、第14回大会から「大竹駅伝競走大会」に改称され、令和2年1月12日に開催された第69回大会が最後の大会となりました。(回数としては、第1回の小方駅伝大会からカウントしています。)

出発点も、第2回大会からは「中国新聞社前」、第10回大会からは「広島平和記念公園」、第14回大会からは「県営陸上競技場」、第17回大会からは大竹市内の「玖波グリーンアイランド前」と変遷していきました。

参加者も、当初は「一般の部」と「高校男子の部」のみでしたが、第8回大会から「中学男子の部」が加わり、その後、オープン参加を経て、第37回大会から「中学女子の部」が、第39回大会から「高校女子の部」が加わりました。

近年の公道の規制強化などの諸事情により、大会は終了となりましたが、関係者たちの努力により幾多の困難を経て69回という歴史を紡いだ伝統とその理念、熱意は色褪せることなく、次代に受け継がれていきます。

大会シンボルマーク

ロゴマーク

第40回大会終了後、大会のさらなる発展と充実を図るために大会シンボルマークの公募を行い、29点の応募の中から当時広島市西区在住の佃均氏の作品が選ばれ、平成4年1月12日に開催された第41回大会から公式に使用されました。

佃氏によると「この作品は駅伝の躍動感を表現しました」とのことです。

写真で振り返る大竹駅伝

大竹駅伝1

第4回大会(昭和30年1月9日)

大竹駅伝競走大会は昭和27年に「小方駅伝」という名称で始まり、昭和30年に現在の名称になりました。旧中国新聞社前(広島市中区胡町)から旧大竹市役所前(現在のおがたピア付近)までの6区間42.7キロメートルを、一般6チーム・高校男子15チームが駆け抜けました。

大竹駅伝2

第7回大会(昭和33年1月12日)

旧中国新聞社前(広島市中区胡町)をスタートとする42.8キロメートルのコースで、全16チームが競い合いました。高校男子の部を制したのは広島工業A。旧大竹市役所(現在のおがたピア付近)庁舎内で表彰式が行われました。

大竹駅伝3

第8回大会(昭和34年1月11日)

旧大竹市役所前(現在のおがたピア付近)をゴールとする42.8キロメートルのコースを24チームが熱走。旧国道2号の玖波中継点では、溢れんばかりの市民が沿道を埋め尽くし、ランナーたちに声援を送っていました。

大竹駅伝4

第8回大会(昭和34年1月11日)

一般の部では、大竹市体育協会が第6回大会以来、2年ぶり2度目の優勝を果たしました。

大竹駅伝5

第8回大会(昭和34年1月11日)

この大会から新設された中学男子の部では、地元の大竹中学校が終始上位グループで力走し、見事初優勝を果たしました。

大竹駅伝6

第10回大会(昭和36年1月8日)

節目となる第10回大会では、広島市平和記念公園前をスタートし、大竹警察署前をゴールとする35.2キロメートルのコースに変更。全16チームがタスキを繋ぎました。

大竹駅伝7

第11回大会(昭和37年1月14日)

旧大竹市役所前(現在のおがたピア付近)前が再びゴールとなった第11回大会。現在の広島工業大学高等学校前(広島市西区)をスタートとする中学男子の部では、大竹中学校が4連覇という偉業を達成しました。

大竹駅伝8

第14回大会(昭和40年1月10日)

一般・高校男子の部は、県営陸上競技場(広島市西区)をスタートし、大竹市文化会館(現在のアゼリアおおたけ)前をゴールとする6区間33.1キロメートルで競われました。大竹市体育協会Aが4度目の優勝を飾りました。

大竹駅伝9

第15回大会(昭和41年1月9日)

一般6チーム・高校18チーム・中学男子23チームが、ゴールとなる大竹市文化会館(現在のアゼリアおおたけ)前を目指して力走しました。

大竹駅伝10

第18回大会(昭和44年1月12日)

前年から、グリーンアイランド前(玖波3丁目)をスタートし、大竹市文化会館(現在のアゼリアおおたけ)前をゴールとする31.9キロメートルのコースとなりました。一般・高校男子の部では、大会新記録が3つ、区間新記録が16も出ました。(写真は現在の元町4丁目薬師寺付近)

大竹駅伝11

第23回大会(昭和49年1月13日)

大竹市文化会館(現在のアゼリアおおたけ)前をスタート。前飯谷を折り返す一般・高校男子の部と、八丁を折り返す中学男子の部で全32チームが熱戦を展開しました。(写真は中津原中継所・木野の両国橋付近)

大竹駅伝12

第32回大会(昭和58年1月9日)

参加チームが年々増え、第32回大会では64チームが参加。新たに総合市民会館をスタート・ゴールとするコースになり、応援する市民も増えました。

大竹駅伝13

第33回大会(昭和59年1月8日

デッドヒートを制しゴールする歓喜の瞬間!なお、この大会から中学男子の部に、初めて女子2チームがオープン参加。その中には地元・大竹中学校の出身者もおり、伝統の駅伝が女性にも身近なものとなりました。(写真後ろは現在の大竹商工会議所)

大竹駅伝14

第36回大会(昭和62年1月11日)

65チームが参加したこの大会から、新たに中学女子の部が新設。全員区間賞の力走を見せた佐伯中学校が、オープン参加の高校女子1位を抑えて初優勝しました。

大竹駅伝15

第39回大会(平成2年1月14日)

78チームが参加したこの大会から高校女子の部が新設され、9チームが力走。見事初優勝を果たしたのは廿日市西高校でした。(写真は旧穂仁原小学校付近)

大竹駅伝16

第64回大会(平成27年1月11日)

先導する白バイがスタンバイし、スタートの号砲を待つ選手たちの姿。110チームが新春の大竹路を駆け抜けました。

大竹駅伝17

第69回大会(令和2年1月12日)

最後の開催となった第69回大会。令和になって初めての大会に104チームが参加しました。一斉にスタートしていく選手たちの姿は壮観です。

大竹駅伝18

第69回大会(令和2年1月12日)

新春の大竹路を彩り、多くの人々に親しまれた大竹駅伝競走大会。選手たちの力走、そしてフィニッシュの瞬間は常に感動的でした。

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更新日:2025年04月30日