亀居城跡の発掘調査時の写真
関ヶ原の合戦後、広島城に入城した福島正則は、領内の要衝へ一族や重臣を配置して防備体制を固めました。このうち小方には甥の福島伯耆を配置し、慶長8(1603)年に亀居城の築城を命じました。毛利氏に対する軍事拠点として慶長13(1608)年に完成しましたが、築城から3年で取り壊されました。
第1次調査(昭和53年10月~)と第2次調査(昭和54年7月~)より
亀居城跡(小方城跡)は、大竹市小方2丁目にある標高約88メートルの山(通称、城山)に所在する近世の平山城で、背後は急峻な山をひかえ、旧山陽道を南北に一望する海に面した絶好の地に位置している。
亀居城跡のある辺りは、一時期個人や企業の所有する私有地で、中腹近くまで宅地化がすすみ、壮麗な当時の城郭を想像させる景観を失いつつあった。
しかし、近年、文化史跡として、また市民の憩の場として保存活用の声が高まり、昭和47年頂上一帯を大竹市が所有するところとなり、本格的に史跡公園として整備の手が加えられることとなった。
雑木林となっていた頂上付近からは、当時の本丸跡の石垣や礎石らしき石、また種々の瓦の破片等が現地調査のたびに発見されており、都市整備課による「亀居公園整備事業」の実施と相俟って、大竹市教育委員会においても現地発掘調査を実施すべく検討を行っていたところ、偶然にも昭和52年11月、頂上周辺を掘削中、本丸天守台の西側部分の雑木におおわれた土中から、最も高い部分で約4.5メートル、長さ25メートルにわたる当時の大規模な石垣が掘り出された。
(出典)芸州亀居城跡 -第1・2次発掘調査報告- 大竹市教育委員会
- 芸州亀居城跡は、市立図書館および情報公開コーナー(大竹市役所内)でご覧いただけます。
本丸調査前近景(北東から)

本丸調査前近景(北東から)【AIによりカラー化】
本丸西側石垣全景
本丸石垣
天守台

天守台【AIによりカラー化】
天守台礎石(その1)
天守台礎石(その2)
遺構(その1)
遺構(その2)
遺構(その3)
遺構(その4)
刻印の石
天守台礎石群(南東から)
天守台礎石群
亀居城跡から瀬戸内海を臨む

亀居城跡から瀬戸内海を臨む【AIによりカラー化】
亀居城跡遠景(その1)
亀居城跡遠景(その2)
更新日:2025年02月21日