大竹コンビナートの歴史
大竹コンビナートの歴史 - 日本初の総合石油コンビナート!
岩国大竹コンビナートの大竹地区は、1961年(昭和36年)に三井系の4つの企業が誘致され、翌年の1962年(昭和37年)に石油化学コンビナートとしては日本で最初に建設・誕生しました。(出典:化学工学会会誌『化学工学』)
元々、岩国市・和木町側には、戦時中に航空機や自動車の燃料を確保するための石油精製の研究をしていた旧陸軍施設があり、大竹市側にも旧海軍の海兵団や潜水学校の校舎跡地といった国が所有していた広大な土地がありました。その土地へ積極的な企業誘致を行い、現在の巨大なコンビナートとなりました。
2005年春には、広島県が進めてきた港湾整備も一定のかたちを整え、規模が拡大。瀬戸内海臨海工業地域の 重要な工業地帯として水深11mの岸壁も持ち、5万トン以上の大型貨物船も乗り入れ可能な港としても活躍しています。
2012年3月16日には、巨大な石炭船『コーラル・サファイア号(全長225m、幅32.2m、総トン数40,042トン・積載重量76,627トン)が 大竹港に入港しました。パナマ運河が通れる最大級の船舶で、パナマックス船と呼ばれています。
更新日:2022年10月06日