大竹海兵団、海軍潜水学校、引揚港に指定されていた大竹港
大竹海兵団と海軍潜水学校の歩み
大竹海兵団
海兵団とは主に新兵に基礎教育をする機関で、大竹海兵団は日米開戦を前に小島新開(東栄地区)の広大な土地に設けられました。大竹海兵団に入団したのは、延べ約15万4千人といわれています。
昭和14年6月17日 | 呉海軍建築部長から大竹町長に対し軍用地の買収依頼 |
昭和15年2月 | 兵舎の建設に着手 |
昭和15年12月 | 呉海兵団大竹分団として3個分隊(約750人)の新兵教育が行われる |
昭和15年 | 呉海軍施設部大竹出張所が小島新開に設置される |
昭和15年10月から昭和17年5月 | 軍用住宅200戸が大竹町郷水、油見地区に完成 |
昭和16年11月20日 | 大竹海兵団発足 |
昭和17年1月7日 | 大竹海兵団竣工式 |
昭和17年1月15日 | 第1回入団式挙行 |
昭和19年10月1日 | 海軍兵学校大竹分校設置 |
昭和20年5月15日 | 大楠機関学校大竹分校設置 |

大竹海兵団兵舎【AIによりカラー化】


大竹港の引き揚げ【AIによりカラー化】
海軍潜水学校
呉から大竹へ移転された海軍潜水学校は、潜水艦の乗務員を養成するための教育機関で、潜水艦のスクリュー音を聞き分ける訓練を行う探知講堂がありました。
大正9年 | 呉に海軍潜水学校設置 |
昭和14年6月 | 新興人絹株式会社に対し、同工場地先約2万坪(約1万坪は潮遊地)の分譲を申し入れ |
昭和17年3月 | 兵舎の一部が完成し呉からの移転開始 |
昭和17年4月15日 | 海軍潜水学校大竹分校設置 |
昭和17年11月23日 | 大竹分校が本校に昇格(海軍潜水学校に改称) |
昭和17年11月 | 残余の兵員の移転終了 |
昭和18年6月7日 | 開校式挙行 |
昭和18年 | 大竹警備隊本部が大竹地区保安のため潜水学校に組織される |
昭和18年8月から9月 | ドイツ潜水艦乗員との共同訓練 |
昭和20年4月 | 周辺海域で呂号潜水艦が機雷に触れ沈没 |
大竹海兵団と海軍潜水学校の航空写真

大竹海兵団、海軍潜水学校、引揚港に指定されていた大竹港は、戦後60周年企画で広報おおたけの特集記事になりました。
特集記事はこちら
戦後60周年企画「私たちのまちに戦争の歴史があった」2005年11月広報おおたけ特集記事 (PDFファイル: 2.0MB)
現在の大竹港周辺は、石油化学コンビナートをもつ臨海工業地帯になっており、現在は大竹工業団地として埋め立て拡張され、「あこがれみなと」とも呼ばれています。
現存する施設としましては、海軍潜水学校の探知講堂の外壁の一部を切り取ったモニュメントがあります。 また、大竹海兵団跡之碑が企業の敷地内にありますが、見学することもできますので、事前にお問い合せください。
モニュメントはこちら
埋め立て前の探知講堂の写真




探知講堂の正式名称は「電測水測講堂」と言い、敵の潜水艦や戦艦を発見するため、水中聴音機や電波探知機など、当時の最新鋭装置の扱い方を教えた施設です。センサーを海に投下できるよう海上に建設された構造物でした。
大竹港への訪問をご希望の場合は、下記の交通手段にてお越しください
- 自動車にてお越しの場合
広島岩国道路(山陽自動車道)の大竹インターチェンジで降り、国道2号を岩国方面に向かってください。しばらくすると左手に三菱ケミカルの看板が見えてきます。この看板を過ぎて、左折レーンがありますので、左折してください。その後は、道なりに行くと大竹港があります。 - JR山陽本線にてお越しの場合
大竹駅で下車してください。現地の大竹港までは、徒歩で30分程度かかりますので、タクシーをご利用することをおすすめします。
更新日:2025年06月30日